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資産税の税理士ノート

 ある方から転送を受けたメールから、今年6月のスティーブ・ジョブス氏のスピーチです。
 主に弊社の新入生諸君へ、そして、私自身へも。
 タイトルは、”CONNECTING DOTS-Stay hungry, stay foolish.” としましょうか。
掲載制限もあるようですから、翻訳者ページリンクのうえ、掲載します。
 http://www.mediaexpress.org/directory_satomi.htm
 http://blog.livedoor.jp/tomsatotechnology/

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スタンフォード大学卒業祝賀スピーチ
  アップルコンピュータ創立CEOスティーブ・ジョブス

PART 1 BIRTH
 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。
 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

               ◆◇◆

PART 2 COLLEGE DROP-OUT
 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。
 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。
 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。
 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多く
は、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。
 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

               ◆◇◆

PART 3 CONNECTING DOTS
 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。
 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。
 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、
 あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできな
い、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこ
そバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

               ◆◇◆

PART 4 FIRED FROM APPLE
 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。
 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。
 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。
 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。
 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。
 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

               ◆◇◆

PART 5 ABOUT DEATH
 3つ目は、死に関するお話です。
 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。
              
 ◆◇◆

PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER
 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。
 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。
 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。
 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。
 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

               ◆◇◆

PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH
 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。
 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンロー
パークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。
 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。
 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」
 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

  Stay hungry, stay foolish.
 ご清聴ありがとうございました。


原文URL:
http://slashdot.org/comments.pl?sid=152625&cid=12810404
2005.6.12
the Stanford University Commencement address by Steve Jobs CEO, Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios 
翻訳 市村佐登美 satomi@mediaexpress.org 
by expresstax | 2005-09-25 23:23 | リクルート

tarvel to America

Now,I srtarted to my own precious vacation to USA.

In this Airport ,in c-class busines rounge ,this internet machines service provides for passenger,so,I can write this "web log".
I `m sorry but It does not provide to use Japanese FEP,I will write here this letter , as possible as I can.

I cannot write English well , so I afraid and apologize to my every alot of spell mistake ! (^_^)
I hope that If I find net machine,anywhere I visit.

My dear friends , my dear office members and staffs, and my respectable clients ,please be fine and soundly.

Anyway, We will have our next flighit, 20:25 start,Sep. 13th.
by expresstax | 2005-09-13 19:55 | 折りにふれて

ご相続

 お客様が亡くなられました。
 弊社は、ご相続を心配されてのご相談や顧問依頼が多いのですが、お客様がお亡くなりになるのは、まだ数えるほどもありませんでした。
 
 最初は物納についてのご相談だったのです。
 ご資産の調査をしてみると、権利関係の複雑な土地や、問題のある底地など、課題がたくさんみつかり、ひとつひとつ丁寧に解決に入っていたところでした。
 ご自分の病気を知ってからは、とても真剣に税務やご資産の問題解決をスピードアップなさいました。
 それから約1年。あっという間でした。
 
 もう、お身体のおつらさは、消えたでしょうか。
 穏やかなお気持ちになられたでしょうか。
    
 お通夜、告別式と、お伺いしました。
 目を真っ赤にされた奥様と真剣な面持ちのまだお若いお子様達から何度も、よろしくと頭を下げていただきました。「大丈夫ですよ。これからも、いっしょにがんばりましょう。」とお伝えしました。 
 これからも、ずっといっしょに、お側で必ずお守りします。どうぞ、安心して見守って下さい、と、心の中で申し上げながら、お客様に誓いながらご焼香をさせていただきました。
 そう、ほんとうにこれからです。
by expresstax | 2005-09-10 23:04 | お客様

 10月の松山の日税連研究会総会への出席を予定していましたら、ビル経営さんのビル経営フェアの講演が、見事にぶつかってきました。
 毎年のことなので、ご担当者は、安心してしまっていたようです。

 こちらは、13日の11時の便で向かい、夜の東京会の会議、翌日の本大会に出席するつもりでした。
 ビルフェアは、13日と14日です。
 そこで、行きの便を1つずらして、13日一番のコマで講演し、その足で、羽田に向かうことになりました。
 既に航空券はとってしまっていましたから、キャンセル振替です。
 
 初めての四国松山。帰りは道後温泉で、など、まったりした日程を予定していましたが、綱渡りです。結局、あわただしいことになってしまいました。
 いやはや、ですが、それでも、なんとか両立できそうですから、よしとすることにします。
 
 ビルフェアで、そして日税連で、それぞれがんばります。(ところで、テーマは何にしましょうか。。。。ヽ(´o`;)ノ
by expresstax | 2005-09-07 23:48 | 折りにふれて

セミナー大人気

 9月21日の安藤様の出版記念セミナーが、満席締切になりました。
 告知からあっという間、まだキャンセル待ちの申し込みが続々です。
 
 新聞社の方の取材も来ます。
 告知を見て、セミナー依頼がさらに入りました。

 すごい勢いですので、嬉しい悲鳴を挙げています。
by expresstax | 2005-09-06 23:02 | お客様

決算書の向こう側

 会社清算のご依頼を受け、決算書をお預かりしました。
 債務が大きく、経営陣が高齢化したため、会社を閉鎖したいとのご意向です。債務整理が課題です。
 
 融資を受けている銀行さんに、借入条件の緩和を申し出たら、決算書を要求され、決算書を見せたら、「同族への貸付金が残っているので、それを返してもらってからにしてくれ」と言われたそうです。
 どうしましょう、と困っていらっしゃいます。
 拝見すると確かに同族会社への「貸付金」が資産の部に載っています。
 
 これは銀行さんの言い分がもっともです。
 
 時折、健全企業でも、同族への貸付金や仮払金がを資産の部に堂々と記載したままの決算書を目にします。
 対外関係者からは、仮払の整理をするなどの決算能力のない、劣った会社という判断を受けます。
 同族への付け回しを平気でする、公正さや清潔さに欠けた会社というレッテルを貼られます。
 対税務しか考えない残念な決算書です。
 
 内容をよくみると、社長様一族への未払報酬などが多額にあるにもかかわらず、借入や未払残には載っていません。
 つまり、同族貸付金は、精算しようと思えば精算できるのに、それをしないで、やっつけで決算を組み、おそらく銀行の借入残との照合もなく、誤った内訳明細書を作っているのです。

 これでは、今からでも誤った前期の決算をもう一度精査して正さねばなりません。
そして進行期の期中ででも、正しい仮決算を組み、外部関係者に提示できるようにしなければ、理解は得られないでしょう。

 読み込んでいて、やりきれない気持ちになりました。
 
 社長様たちが夜も日もなく働いて築き続けた事業を、せめて債務超過に転落したどこかの時点で、どうして回復の手だてを図らなかったのか。
 それができないなら、どうしてどこかの時点で、一声ストップを掛けないのか。
 財務は、会計は、そのためのデータであるはずです。
 
 ストップを掛けたら、顧問契約がとまり、顧問料収入が減ってしまうとか、そしたら所長になんと言われるだろうとか、どうせ赤字会社なのだから、税務調査もないだろうから、とか、とにかく自分の担当の間は、社長につらい話はとてもできない、とか、あってはならない会計人の光景が、目に浮かんできます。

 お預かりした決算書資料を机に広げて、気の遠くなるような会計業界の構造の前に、ため息をついています。 
by expresstax | 2005-09-04 23:44 | お客様

新人歓迎会

金曜日は、暑気払いと兼ねて、新人歓迎会でした。
 場所は汐留シティセンタービルの41階、D4のグランチャイナです。

新人歓迎会_d0054704_023132.jpg
 超高層階の場所を生かして、ワンフロアーかと思うと、螺旋階段でメゾネットのようにレイアウトしたドラマティックな光と空間のデザイナーインテリアの素晴らしいレストランです。

 あるご縁で、螺旋の最上、VIPルームをとっていただけて、ワインの差入もいたただきました。
 ありがとうございました。
 
 主賓は、栗原さんと山田さん。夜景が正面に見える席にすわってもらいました。
 お料理はシャンパンからはじめて、チャイナのフルコース。自慢の北京ダックなどアラカルトからも追加して、おいしく、楽しくいただきました。

 欲をいえば、ただ食べておしゃべり、で終わるだけでなく、もう少し新入生さんを中心にしてあげられれば、よかったな、と思いました。難しいものですね。
 でもまあ、とにかくこれで、9月の業務のキックオフです。
by expresstax | 2005-09-03 23:32 | 事務所

A様は、平成11年のご先代の相続で、たくさんの土地を相続なさっていました。

 申告のときは、相続税の知識もなく、訳も分からず夢中で遺産分割、あわてた納税でしのいでいました。
 ところが申告後、相続税について聞くにつけ、自分の相続税が高すぎたのでは?と気づきました。
 しかし専門家から、減額請求は申告期限から1年以内だけだと聞いて、あきらめていたのです。

■相続税の計算や評価誤りで払いすぎた相続税の取り戻し-法的には申告期限から1年内だが。

 誤った申告をした場合は、原則としては、法定申告期限から1年以内に「更正の請求」をおこなって、正しい額に訂正して、税額を引き下げる処分を要求する権利があります。(国税通則法23条) この期限を越えた場合、納税者側からの救済方法は法律では認められていません。

 しかし、税務署長による減額更正が可能な期間が法定申告期限から5年間(増額更正は3年間)とされているため、税務署長に減額更正を求める嘆願を行う方法があります。いわゆる「減額更正の嘆願」であり、国税通則法70 条(国税の更正・決定等の期間制限)と日本国憲法16条(請願権)に基づきます。

 更正の請求は、納税者の法定権利ですが、嘆願・請願は、あくまで税務署長の裁量を求めるお願いとして位置づけられています。明らかな誤りである場合は、更正の請求期限の1年を過ぎてしまっても、国は訂正し、過納額を還付してくれるのです。5年を過ぎると税金は時効(除斥期間)に入ります。

 A様は、時効まであと2ヶ月余という時点で、意を決して、嘆願請求の道を選択されました。
 
■明らかな誤りに基づく嘆願申請には、裁量で減額更正措置-成功ポイントはスピードと立証

 法の適用についての計算の誤りならともかく、評価については、当初申告が納税者が判断した「時価」なのだから、まして更正の請求期限を過ぎてまで、更正は認めない、という意見もあります。しかし、評価はあくまで適正時価にて行うべきもの。時価算定に誤りがあれば、当然に見直されるのです。

 問題は、職権更正を嘆願したとして、5年以内の該当期限までに、担当部署が更正できるようにしなければならないことです。嘆願を受けた税務署は、調査し審理したうえで決定を下さねばならず、そのためには日数が必要です。税務署は、期限ぎりぎりに何を、と門前払いすることもできるのです。

 エクスプレスは、急遽現地調査、当時資料の確認、当時の都市計画法・建築基準法、開発要項を入手、再評価の論点を明確化、他のすべて財産債務についても洗い出しチェック。もちろん、増額要因の誤りがあればそれも訂正、いいとこ取りはできません。そのうえで、担当官さんが別途調査の必要がないほど資料万全、論拠明確、首尾一貫のエクスプレス式の嘆願書をスピード作成します。  

 そして提出から20日。所轄税務署担当官さんから、減額OK、還付、の回答が入ったのです。
 誠実な申告には、誠実な回答が返ってくるものです。期限ぎりぎりの滑り込みセーフになりました。

■嘆願還付は申告期限から5年以内。平成11年11月以降相続の相続人様は、申告書の見直しを。

 例えば今なら平成11年11月以降相続で申告誤りがある場合は、嘆願で還付の可能性があります。

 ①不整形地・無道路地・広大地・容積率違い・高圧線下など土地評価の誤り。
 ②土地の地目や利用による画地区分の誤り。
 ③預り敷金や保証金、未払税金、未払医療費など債務の計上不足などに、相変わらず誤りが多いようです。
 
 中には、路線価違い、奥行距離違い・地積違いなど、目を疑う間違いもあります。

 急いで過去の申告書をもう一度チェックしてみてください。
 そう、諦めずに。
by expresstax | 2005-09-01 23:34 | 耳より税金情報